バイオリン奏者であれば憧れる名曲であるカプリス24番は、悪魔の力を借りなければ演奏が出来ない難局とも呼ばれています。
こちらでは、そんなカプリス24番を作曲し、自ら演奏し、悪魔のバイオリニストとして有名なパガニーニの波乱に満ちた生涯をご紹介したいと思います。
パガニーニの時代
ニコロ・パガニーニは18世紀~19世紀のイタリアのバイオリニストです。
クラシックでは古典派からロマン派の時代で、モーツアルトやベートーベン、シューベルトなど、名だたる作曲家が多く活躍した時代です。
舞台や貴族のサロンでの演奏が華やかなときで、作曲家は指揮以外に演奏も自由に行った時代です。
現代に残る有名な楽曲が次々と創作、発表されており、先取性や自由さがあった時代でした。
パガニーニもそういう華やかで自由な中でバイオリン演奏や作曲を行い、才能をいかんなく発揮した一人です。
なおバイオリンは超絶技巧として当時から有名で「バイオリンの鬼才」とも呼ばれました。
生い立ちと活躍
5歳からバイオリンを習い始めたパガニーニは13歳ですでに学ぶべきことがなくなったと言われるほどの才能を発揮し、新技法や特殊技法を自ら編み出して、自作の曲を創って練習を続けたと言います。
以後、名になるにつれて公演は大盛況となります。
自ら作曲したバイオリン楽曲を演奏し、それを聴いたシューベルトやリスト、シューマンなどに多大な影響を与えています。
パバニー二は病弱であったために痩せぎすで肌は浅黒かったらしく、鋭い眼光をしていたことと、悪魔が乗り移ったかのような超絶技巧が人並外れていたので、聴衆は思わず十字を切ったと言う逸話や「悪魔に魂を売り渡したのではないか」との噂さえ立たったそうです。
医学が発達していない時代であったため、迷信による薬や治療法により水銀中毒により、52歳に引退し、1840年に57歳で亡くなっています。
たくさんのファンから惜しまれつつ演奏活動を辞めた後、ひっそりと亡くなったあとは、当時の水銀中毒者による埋葬拒否などから、亡骸は腐敗処理されて各地を回ったそうで、正式に葬られたのは1876年であったそうです。
楽曲について
残念ながらパガニーニの演奏は現代では聞けません。「バイオリンの鬼才」として伝説と、彼が残した楽譜からそれを想像するしかありません。
パガニーニが残した楽曲は高度な技術が必要なものばかりで、パッセージは極めて速くのダブルストップ・左手のピチカート・フラジョレット奏法などを用いる難曲として知られています。
なおパガニーニは、バイオリン協奏曲や独奏曲等多くの作曲を行いましたが、自分が演奏するためのみに使用しており、死の直前にはすべて処分してしまっています。
残っている楽曲は演奏を聴いた作曲家が写し取ったものだと言われています。
とくに有名な曲は「ラ・カンパネラ」で、後にリストがピアノ曲として編曲しています。
また、言わずと知れた「24の奇想曲(カプリス24番)」は大ヒットした「4月は君の嘘」に使われたことでも有名です。
最期に
パガニーニは自分のバイオリン舞台での演奏のために、作曲を行いました。
ある意味作曲は主体ではなく2の次だったのですが、作曲家としても後続の作曲家に大きな影響を与える才能の持ち主でした。
残念ながら自分のバイオリニストとしての命が尽きるとともに、多くを処分していまいました。
これらがすべて残っていれば「ピアノのショパン」とともに、「バイオリンのパガニーニ」として作曲家の名を、より濃く遺したのではないかと思います。
パガニーニはバイオリ二ストであることに拘り続け、それに誇りと自信を持っていた人だったと言えるのではないでしょうか。