ヴァイオリニスト ジネット・ヌヴー
ジネット・ヌヴー ( Ginette Neveu )は、20世紀前半のフランスの女性ヴァイオリニストです。
幼い頃から天才と呼ばれ、将来を嘱望されながらも、30歳の若さでこの世を去りました。
生前に録音した演奏は、モノラルでレコード特有の雑音が入ったものが多くありますが、力強く、多彩な表現力を持つ彼女の演奏は、現代でも多くの人を引き付けています。
ジネット・ヌヴーの生い立ちと活躍
ジネットは、バイオリン教師の母と、それに理解を示す父との間に1919年に生まれました。
1歳違いの兄ジャンはピアノを習い、音楽一家の中で生まれ育ったわけです。
稀なる才能を見せるジネットは、すでに7歳のときにはパリの劇場でバイオリン協奏曲を精巧に演奏するまでになっています。
その後パリ音楽院を8か月で首席卒業、ベルリンの著名な先生に招かれます。
そして1935年ワルシャワのヴィエニャフスキ国際バイオリン・コンクールで180名の大人たちを差し置いて15歳のジネットは圧倒的な演奏で優勝してしまうのです。
華々しくデビューしたジネットは第二次大戦中の活動休止を挟んで、ヨーロッパやアメリカ等で公演を行い、たくさんの人を魅了し続けました。
またレコード録音も精力的に行っています。
帰らぬ人 ジネット・ヌヴー
彼女の最後の公演は、地元パリで1949年10月20日に行われています。
ジネットは久々に家族全員が揃った自宅で楽しく過ごしたことでしょう。
1週間後の10月27日、3度目のアメリカ公演のためにエールフランス機でパリを飛び立ちます。
しかし同機は大西洋のアゾレス諸島の山中に墜落してしまうのです。
ピアノ伴奏をしてくれていた兄ジャンも一緒でした。
彼女の遺体が発見されたときには、愛器ストラディヴァリウスを両手でしっかり抱いていたと伝わっています。
墜落事故は世界にセンセーショナルに伝えられ、多くのファンが彼女の死を悼みます。
遺体はパリに葬られ、多くの市民が参列しました。フランス政府は彼女にレジオンドヌール勲章を授与しています。
最後に
残念ながらジネット・ヌヴーは来日していません。
彼女が亡くなった1949年は、日本はまだ独立国でさえありませんでした。
あと数年もすれば、必ず日本にも公演旅行に来たことでしょう。
そして多くの人を魅了し、たくさんのファンを生んだはずです。
長身で黒髪の彼女は美貌も持ち合わせています。
彼女の演奏映像は残念ながら残っていませんが、楽曲に入り込んだ彼女の演奏姿はさらに美しいはずです。
伏し目がちで切れ長な目は神秘的でさえあったと思うのです。
彼女の舞台を日本人が一度でも目にしていれば、彼女の国内での名声はさらに大きくなったでしょう。
そして彼女に憧れて、バイオリン演奏を目指した少女たちもさらに増えたことでしょう。